狩野英孝さんインタビュー「経験してきたすべてが自分につながっている」

2009年7月8日 記事の公開日時 11:00 pm

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狩野英孝さんインタビュー「経験してきたすべてが自分につながっている」
 
 

俳優志望という過去を持ち、由緒あるお寺の跡取り息子としても知られる狩野英孝。

芸人下積み時代には金銭的に苦しい時期も経験したという。狩野英孝の肖像に、迫る。

――俳優志望であった狩野さんが、芸人を選んで良かったなと感じる点を教えて下さい。

狩野英孝さんの「原点」。 色んな仕事をやらせて頂けたことかな。俳優の仕事もさせて頂いて、例えば「プロポーズ大作戦」「太陽と海の見える教室」からもオファーを頂けたんだよ。純粋に俳優を目指していたらそのレベルの仕事に関わるのは難しかったと思うしね。また、元々ファンだったという繋がりから、ラルクアンシエルさん作曲でCDデビューのお話を頂けたのは嬉しかったね。
逆に、芸人の難しいと思う点は「芸人はなんでも出来て当たり前」と考えられているとこかな。歌でも運動でもマルチにこなせる人材を要求されるし、芸人としてその要求は断れないしね。

――テレビ朝日の「ロンドンハーツ」についてどうお考えですか?

心から御礼を言いたいよ。自分がお世話になった番組は一位が「レッドカーペット」で、二位が「ロンドンハーツ」だと思っているよ。なにより自分のキャラを確立してくれた番組だからね。あの番組のお陰で他番組に出演する時も同様の団体芸が作れるようになったよ。他の芸人さんも、ロンドンハーツに出演すると周りからのイメージが大きく変わるとよく仰っているよ。

――あの番組内で狩野さんはかなり叩かれているようですが?

「僕イケメン」のネタを始めたばかりの時は、客の8割はアンチだったよ。けど、嫌われるという事は裏を返せばそれだけ印象を与えているという事なんだ。それはテレビマン的には使いやすいキャラって事だからね。それにテレビ番組は好感度が高い人間だけで構成しても絶対に面白くない。好感度が高い人たちの中で、その逆の人間を配置してそいつを叩くという流れで番組は盛り上がるんだよ。その番組構成を勉強させてくれたのもロンドンハーツさんだったね。

――ネタはどのように考えるのでしょうか?

人間は他人の不幸が好きだと思うんだ。テレビ番組のドッキリ企画にも通じる話で、お笑いのハッピーエンドはあまり需要がないと思うね。キャラが困っている姿をお客さんは見たいんだよ。大してイケメンでもないのにこいつ痛いなと思ったりしてね。それはお笑いだけではなく映画等にも当てはまる点で、元々俳優を目指していたから気づく事ができたのかな。
あと、以前バンドをしていた時にグレイさんやラルクアンシエルさんの髪をかき上げるポイントやキメるタイミングをコピーしていたから、そのような点もネタに取り入れているよ。
今のキャラクターは「ちびまる子ちゃん」という作品のハナワ君を参考にしているし、経験してきた全てが自分のネタに繋がっていると感じるね。

――俳優業とお笑いの仕事の違いについてどうお考えですか?

俳優は渡された台本のキャラを理解して演じるだけでよかったんだ。だけどお笑いでは脚本・演出・主演、全てにおいて一人でやらなければならないから大変だよね。その点から見ると俳優はお笑いに比べて楽だな、お笑いはすごいなって思ったよ。けど、もし最初からお笑いの道に進んでいたらお笑いの特殊性や他の仕事との違いについてここまで意識できなかったと思うね。
あと、俳優とお笑いの違いにも苦しんだよ。俳優の笑いの取り方と芸人の笑いの取り方は違うからね。そこがかなり苦戦したポイントだったけど、先輩のライブをたくさん見て勉強したよ。

狩野英孝さんの「ブレイク」。

――お笑いの勉強はどのようにされるのですか?

生のライブを見るのが一番だと思うよ。僕がお笑いを勉強しようと思った時に改めて、「東京は凄いな」と感じたんだ。東京と田舎の最大の違いは芸を生で見れるという事だよ。東京なら毎日どこでもライブをやっているし、実際の「間」や「空気」は生でないと感じることはできないからね。ただ、東京に住む人達はその点に気づいていないから、地方の人達と差はついてないけどね。僕はそれに気づいてからは多くのライブに足を運んでテレビやDVDでは勉強できないことを得ることができたんだよ。

――狩野さんが影響を受けた芸人さんはいらっしゃいますか?

「やまもとまさみ」さん。同じ事務所(マセキ芸能)の先輩。僕と同じピンのコント芸人なんだけど、正直勝てないと思ったね。そんな発想をどこから生むのだろうという感じで、イッセー緒方さんや劇団ひとりさんに近い芸風かな。正直、僕は劇団ひとりさんよりもやまもとまさみさんの方がすごいと思っているからね。この人には自分では勝てない、この人と同じピンのコントスタイルは絶対にしたくないと思っていた程だよ。
けど、漫談や落語など色々試した結果、最終的に俳優で培った演技力を生かせるのはコントしかない、やまもとまさみさんの二番煎じでもいいから自分はコントをしようと思ったんだ。自分では今でもやまもとまさみさんに勝てていないと思っているけどね(笑)

――お笑いのネタはライブ用とテレビ用の違いはあるのですか?

ライブ・営業・テレビでやるネタは違うよ。カメラの前でのネタ・一般のお客さんの前でのネタ・自分のファンの前でのネタは変えなければならないから。もう少し詳しく言うと、ライブはお笑い好きの人が来るけど複数の芸人の公演の時は狩野英孝を嫌いなお客さんも中にはいるし、前の芸人のネタでは笑っていたお客さんが自分の番になると携帯をイジりだすなんて事もあるしね。あと、ライブは会場の空気を読みながらネタを大きく変更していく事もあるよ。
例えば子連れのお客さんの子供が泣きだしてしまった時はそれをネタにするかどうかは見極めが難しいよ。お客さんの温度や自分の言い方など細心の注意が必要となるからね。常に喋りながらどのネタに繋げていくかを考えてるよ。

――そのような技能は習得可能なものなのですか?

できるようになる。慣れてくると舞台上のことだけではなく、ネタを書く事、ネタの暗記、舞台上での見せ方、トラブルの対処法も向上してくるよ。
僕も慣れていない時はうまくいかないで、ストレスから血尿・入院まで追い込まれたよ。ライブに出る時は「さあ、今日もスベりに行くか」と思って出演して、そのままスベって、更にストレスが溜まっての悪循環だったね。そんな時は楽な俳優業に戻ろうかとも思ったよ。プロが書いた脚本をただ演じればいいし、プロの脚本は面白いに決まっているからね。自己責任も発生しないし。だけど、結局俳優に戻らなかったのはそんな最悪な時からすでにお笑いの魅力に取り付かれていたからだと思う。俳優時代はお客さんを泣かそう・感動させようと思っていたけど、後から考えると泣かす・感動させるという事は案外簡単なことなんだ。それは設定があり、話の流れがあり、お決まりの音楽があり、ある程度のパターンが決まっているからで、お笑いにパターンは通用しないからね。
そこまでお笑いにのめりこんでいて、なんとかお客さんを笑わせてみたいと思った時に作ったのが「テレフォンショッピング」というネタだった。テレフォンショッピングの営業マンが商品よりも自分をアピールしてしまうネタなんだけど、それが思いのほかにウケたんだよ。自分では叩かれると思っていたネタだけに、ウケた事に驚いてその後のネタがとんでしまった程だよ(笑)その日のライブが終わった後に「やっと見つけた!」という実感がこみ上げてきて、そしたら血尿もピタッと止まって腹痛もなくなったんだ。それがデビューしてから7ヶ月後だったかな。

――7ヶ月というのは芸人の下積みとしてはかなり短い期間なのではないでしょうか?

そう思われるのも当然だと思うけど、自分にはとても辛い時期だったよ。自分は笑いを取れないのに、ライブ会場で笑いをとっている他の芸人さんのビラ配りの仕事をするのは精神的にとても辛かったね。

――そこから、狩野さんが現在の大ブレイクへと繋がったきっかけは何だったのでしょうか?

狩野英孝さんの素顔。 去年(2007年)の6月に放映された「レッドカーペット」かな。それが始めての全国放送だった。それ以前にNHKの「爆笑オンエアバトル」で初登場1位をとり、その次の回が2位だった。その後3連敗して一生懸命作ったネタがオンエアされずに、やっぱりダメなのかなと思ってしまった時もあったんだ。しかもその時は本当にお金が無い時期で、家賃は払えず、電気・水道も止められて、お風呂も入れない、トイレも流せない、夜に帰れば部屋は真っ暗という状態だったよ。仕事はコンビニのバイトをしていて、コンビニで出される廃棄(食品)で何とか食いつないでいる状態。その頃のお笑いの仕事は一日働いて500円や1000円もらえれば良い方で、ほとんどボランティアだよね。そのお笑いの仕事に圧迫されてアルバイトもまともに出来ない状態だった。そんなある日にバイトの給料で5万円の収入が支払われて、その5万円でどうしようかと僕は考えたんだ。電気代を払ってせめて明るい部屋にするか、水道代・ガス代を払ってお風呂に入れるようにするか、家賃を一か月分でも払って寝床を確保しようか、どうしようかと迷ったけど、「こんなことをしていたら俺は一生このままだ!」と思ったんだよね。それで僕はその5万円を全て使ってオーダーメイドの白スーツを買ったんだ。
当時は成人式でおばあちゃんに買ってもらった紺色のリクルートスーツを着ていたからね(笑)そのスーツを買ってから初めての仕事が「レッドカーペット」のオーディションで、それに合格して全国放送されたんだよ。その次の日から事務所に電話が殺到して、「狩野英孝さんに取材したい」「営業に来て欲しい」という依頼を沢山頂けたんだ。今思うとあの時にお金をその場を凌ぐことに使わなくて本当に良かったなと思うよ。

――その白スーツはどのようなオーダーをされたのですか?

スーツにも僕なりのこだわりがあって、テレビに出る人間は芸人さんもアイドルもタレントも愛嬌がないと売れないと思っているんだ。そこでナルシストから少し崩すためにスーツをあえて80年代の「サタデーナイトフィーバー」のような一昔前のものにして、今さらロン毛にして、あえてダサいものにしている。もしキムタクのような本当のイケメンが「僕イケメン」なんて言っても不快でしょ(笑)お客さんが「オイオイ」と突っ込みたくなるようにしなければならないんだよ。

――とても計算しつくされたネタだったんですね(笑)

そこもお笑いの凄いなって思う点の一つだよ。芸人さんはみんな本当によく勉強するし、色々計算しているよ。例えば事務所の先輩の出川さんも収録中に噛んでしまったところはメモっておいてどこがウケたか記録しているし。お笑いっていうのはかなり細かい計算が要求されるし、集団のときは個人プレーのように見えて本当はチームプレーとして笑いにむかって動いているんだよ。例えば、「ロンドンハーツ」の格付け企画だったら、吉本芸人が集団で「狩野英孝」個人を苛めているように見えるけど、あれはプロデューサーとかもガッツポーズしたくなるような集団芸が上手くいった形で、吉本の芸人さんには本当に感謝してるんだ。けど反省点もあって、僕がイジられ過ぎて他の芸人さんがおいしくなかったんだよね。もっと周囲を引き立てる術も覚えていかないと番組としても良くないし、本当に団体芸だと思うよ。

――番組収録をしているうえで、所属事務所の壁はありますか?

ある。やっぱり同じ事務所の方がやりやすいし、普段一緒にいる分ネタのフリ方をわかっているからね。他の事務所の方は気を使うし、ネタがわからない事もあるから。仲が悪いっていうような敵対的な壁は無いけどね。

――もし芸人を目指している学生にアドバイスをするなら、どこの事務所を狩野さんなら薦めますか?

やっぱり事務所選びは大事だね。それに事務所によって色が違うから。ある事務所で落ちたネタが他の事務所では合格したって事もあるよ。
例えば、「ワハハ本舗」さんはキワモノ系のネタが好きだし、僕の所属する「マセキ芸能」はピン芸人が多いね。けど、やっぱり一番薦めるとしたら吉本さんかな。吉本さんは良いなって思うよ。

――狩野さんが由緒ある神社の跡取り息子という点は有名な話ですが、ご家族の反応はどのようなものでしたか?

僕は元々、家族の反対を押し切って上京してきているんだよ。だから、貧乏時代も家族の金銭的な援助とかはなかったね。けど家に帰れば「ちゃんとご飯は食べているのか?」とか心配はしてもらっていたけどね。

――ご実家の神社を継ぐための資格取得は考えているのですか?

取るつもりだよ。反対を押し切って芸人になったけど、僕で39代目の由緒正しい神社を盛り上げていきたいって気持ちはあるからね。今はテレビのお陰で神社の参拝客がとても増えて、わざわざ大阪から「狩野英孝」の神社だって来てくれた人もいるくらいだよ。テレビ取材も受けているみたいだし、この前の地震で神社が損壊した際も「復興頑張って下さい」と資金援助して下さった方もいたしね(注 神社は古い建築物なので災害等が無くても自然に損傷していく、その費用は神社のお賽銭から自己負担しなければならないとの事)。
「オーラの泉」でも言った事だけど、資格を取得したらお笑い仲間も交えてライブもできるお祭りとか企画したいなって思っているよ。神主の資格を取るためには大学へ行かなければならなから、仕事が落ち着いたら勉強していきたいなとも思っているしね。

――最後に、狩野さんの座右の銘を教えて下さい。

高杉晋作の「面白きなき世をおもしろく」かな。どんな暗い社会でもお笑いで世の中を楽しく、良くして頂ければ良いなって思っているよ。

――お時間どうもありがとうございました!

ありがとうございました。CIMG0602

取材は狩野さんから指定されたレストランへ深夜1時に集合だった。狩野さんはかなりご多忙なご様子で、取材の日も昼に北海道の営業を終え、飛行機で東京に到着した直後だった。
現在最も勢いのある若手芸人の一人と言っても過言ではない、連日テレビで拝見していた実物の芸能人を目の当たりにして私達は緊張を隠せなかった。しかし、生の狩野さんは想像以上に気さくで礼儀正しく、非常に真面目な印象を与える方だった。取材時間は約1時間半だったが、取材はあっという間に終わってしまい、まるで仲の良い先輩と一緒にいるような心地よい時間だった。
今回は学生相手のノーギャラの仕事だというのに、手を抜く様子も無く、質問に丁寧に答えてくれた狩野さんへは感謝の気持ちを隠しきれない。ちなみに取材が終わったのが午前3時頃で、狩野さんは6時から仕事が入っているとの事だった。

取材後に先ほどまでの時間を反芻しながら外を眺めていると、先に帰路についた狩野さんが横断歩道を渡っているところが見えた。
赤信号だった。道路交通法では俺は止められないよ、という狩野さんの静かな闘志を垣間見た気がした。

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