【2013秋号】宮本恒靖氏インタビュー 「2014年ワールドカップへ。元日本代表主将の言葉。」(前編)

2014年5月31日 記事の公開日時 7:01 pm

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【2013秋号】宮本恒靖氏インタビュー 「2014年ワールドカップへ。元日本代表主将の言葉。」(前編)
 
 

この記事はMAG!2013秋号に掲載されています。
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失敗の原因を考える」という作業をずっとしました。

サッカーを始め、日本代表へ。

「10歳のときのメキシコワールドカップでマラドーナがすごく活躍していて、それを見て純粋にサッカーをやってみたいなあと。そこから本格的にやろうと思ってサッカー部に入りたいと思っていたんですけど、通っていた学校にはサッカー部がなかったんですね。半年くらいどうすれば良いかなと考えていて…。でも小学校5年生になったときにサッカークラブが初めてできるということになったのでそこに入りました。本格的にサッカーを始めたのはそこからですね」

 

その当時のポジションはFW。中学生の時もずっと攻撃的な選手だった。高校生になるとガンバ大阪ユースへと進み、ポジションが変わる転機が訪れる。

 

「高校1年生の時にガンバ大阪ユースでプレーしていた時、MFとしてプレーしていたんですけどちょっとした壁に当たっていて。その時にコーチに『ポジションを変えてみないか』って言われたのがきっかけですね。最初は、ずっと攻撃をやっていたので『DFなんてできんのかな』って思ってたんです。
でもやってみて自分自身がプレイヤーとして『効いている』と感じたので、『まあいいんちゃうかな』と。もともとゲームを読むという素質が備わっていたのか、相手がドリブルで仕掛けてきたのを止めることや、パスが出てきたところをカットすることは、そこまで考えることなくやれていた部分はありますし。ただ、DFとしてどこにパスを出していけば効果的かということなどは、試行錯誤しながらやっていました」

 

その後17歳以下の日本代表に選ばれ、FIFA1993年U−17世界選手権に出場、ベスト8という成績を修める。だが本人は、少し壁に当たっていたという。

 

「DFを初めて1年くらいの時にU−17の日本代表の合宿に呼ばれました。その時にうまく自分の力を出せない、波があるということがありましたね。サッカー選手として、求められるレベルのプレーをずっと出し続けられず、試合によって調子が変わってくる。
試合に出たのにも関わらず、そこのポジションから外されたりもあって、一番最初に考えさせられました。その対処としては、『失敗の原因を考える』という作業をずっとしてました。試合への気持ちの持っていき方や、集中の仕方であったり、どうしたら良いのかなというのをずっと考えてました」

日本代表として初めて臨む、2002年日韓ワールドカップ

2002年、日本と韓国の共同で開催されたワールドカップは、日本中にサッカーブームを巻き起こした。宮本さんは、大会前に鼻骨を骨折し、フェイスガードを着用しての出場。記憶に残っている人も多いのではないだろうか。

 

「2002年は自分の国で開催される大会に参加できるので、やはりみんなワクワク感とドキドキ感がありましたね。自分自身も初めての大会で、高揚感にあふれていました」

 

そしてチームは、ベスト16という結果を残し、自身もキャプテンとして4試合に出場した。

 

「2002年のときは中山さん、秋田さんといった年上の方がチームに良い影響を与えてくれたました。大きな大会で難しいのは、試合に出る選手と出られない選手がいて、その2つのグループの間にそんなに温度差が生まれないようにすることなんですね。それが結果を出すための必須条件でもありますし。そういうのがうまくいったのが、2002年の日韓大会でした」

 

ただ宮本さん自身は、最初から出場していたわけではなく、初戦に森岡隆三選手が怪我をして、急遽交代で出場することになる。モチベーションやコンディションなどはどのように調整したのだろうか。

 

「モチベーション、コンディションに関しては2000年のシドニー五輪の時に学んだことを活かすことが出来ました。シドニー五輪の時も隆三が同じポジションにいたので僕は控えだった。グループリーグの第一戦、第二戦はベンチでしたが、第三戦には出ることが出来ました。第三戦は隆三が出場停止で出られなくなかったからね。
でも、その第三戦で、自分の思った通りのパフォーマンスができなかったんですね。そこで、さっきも言ったように原因を考えました。『なんでパフォーマンスが良くなかったのか』と。なので、2002年は2000年の失敗を活かしてうまく準備出来ていたと思います」

 

そして、宮本さん自身が”ベストゲーム”と呼ぶロシア戦も含め、2勝1敗でグループリーグを1位で突破した。

グループリーグ敗退に終わった2006年ドイツワールドカップ

2006年のドイツワールドカップには、国民の期待も寄せられていた。もちろん2002年の大会のこともあったが、ジーコ監督が率いる日本代表には、中田英寿、中村俊輔、小野伸二など、黄金世代と呼ばれるメンバーが多数選出されていたからだ。

 

「2006年は、高揚感もあったりました。ただ、2002年に結果を出しているだけ、2006年はもっと上を目指せるという期待感もあったし、自分達も自分達に期待していました。自分としてもキャプテンという役割を楽しみにしながらね、本大会に行ったわけであって。そういう意味で高揚感というよりも落ち着きがありました。これからそういう大きな使命を背負いながらやっていかなくてはいけないという責任感もありました」

 

ただ、結果は伴わなかった。

 

「2006年はベテランと呼ばれる選手達がいなかったし、あんまり結果が出なかったりということもあって、出ている選手と出ていない選手の間に温度差が生まれてしまった。
もちろん2002年の経験を生かしながら、それに2004年のアジアカップの経験も生かしながら2006年もうまくマネジメントできれば良いなあと思いながら、キャプテンとしてやっていましたけど。
マネジメントとしてうまくいっていた部分ももちろんありましたけど、少しカバーしきれない部分が多くて、2006年のときは苦労したかなと思います」

 

そしてチームは1分け2敗でグループリーグ敗退を余儀なくされた。

後編へ続く

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