【2014秋号】【インタビュー】 デヴィ・スカルノ ”半生を反省” ―前編

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2015年2月12日 記事の公開日時 6:00 pm

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【2014秋号】【インタビュー】 デヴィ・スカルノ ”半生を反省” ―前編
 
 

この記事は2014秋号に掲載されています。
詳しくはこちらをご覧ください。

『運命というのは自分で切り開くもの』

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幼少の頃、夫人は戦後の貧困の中で育った。そこで、夫人に芽生えたのは、英語への憧れと大成したいという夢だった。しかし、同時に敗戦した日本人の惨めさもひしひしと感じていた。
「私の家の裏は戦前、近衛第三連隊の練兵場だったのですが、戦後にハーディー・バラックスというアメリカ兵の駐屯場になったんです。そのため、西麻布には、背が高くて金髪で目の青いアメリカ兵がいっぱいいたんですね。日本人のほとんどが外国人を見たことがない時代に、私は小さい頃から家教(要確認)の外国人やアメリカ兵をたくさん見て、彼らの話している英語に憧れて。ですから英語は中学校の頃クラスで一番でした。でも、それと同時に、背の高い米兵の脇の下に背が届かないほどの日本人女性たちがパーマをかけて、口紅を真っ赤にぎゅっと塗り、緑やブルー、黄色のコートを着て、白人の腕にぶら下がるようにして、通りを歩いているのをよく見ました。私は、そこに征服者と征服されたものの関係を感じ、恥ずかしさで、か〜っとなって地面を見たのですが、その時、地面がうねりをあげるような感じがしましたね。それくらい悔しかったのでしょう。私はその時に誓ったのです。私が大人になったら、この白人たちを絶対ひざまずかせると、そういう強い決意をしました。憧れもあったのですが、やっぱり敗戦に対する怒りが私の中には大きくありました。」貧しい家庭の中で母と弟を守りながら、征服者である白人たちを見返す。そのためには夫人は多くの教養を身に付けた。その中で強く影響を受けたのは、絵画とカトリックだった。
「三歳の頃から、私の描いた絵を見て、周りは天才と持てはやし、私自身もそういう気持ちで将来は画家になろうと思っていました。学生時代、一番感銘を受けたのはモディリアーニでしたね。あの不思議な、ナイーブというか、首が長くって、とにかく見たこともない美しさ、彼のスタイルというのは全く独自で胸を打つものでした。
また、子供の頃は、カトリックの教会に日曜日に行っていました。そのため、私の精神構造は未だに強いカトリックの教えの影響があります。私はカトリックの教えを得ていなかったら、色々な苦難を、『これは神の試練だ』と、『神が私のことを特別に愛してくださっているから、私を選んで試練を与えてくださるのだ。だから苦しくても頑張らなければ、生き抜かなければ』という気持ちにはならなかったと思います。そして、人に寛容になること、人に慈悲を持つこと、この二つの教えは私に大きな影響を与えました。やっぱり若い時の影響って大きいですね。」

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多くのことを学び、成長する夫人であったが、家庭は貧しいまま。画家になるという夢も諦めざるを得なかった。母と弟を養うために、夫人は中学を卒業後、すぐに千代田生命に就職した。それに加え、お昼休みは千代田生命の近くにある喫茶店のアルバイトもこなし、土日には銀座のコーヒーショップで勤務、さらに夜は三田高校の定時制に通うという生活を送った。
「休日は全くないですけど、とても楽しい青春でしたよ。一日が30時間、一週間が10日間あると感じるくらいに色んなことをしました。働いて、勉強して、さらに早川雪洲というその当時の国際俳優が、東芸プロダクションというのを開設しており、私はそこの二期生になったんですね。私は画家になるのを諦め、女優になりたいと思い、歌や舞踊、演技、声楽も習っていました。その実践ということで、日本テレビで端役、セリフがあったりなかったりの子役の仕事をしました。
自分の夢を達成するにはお金がかかるわけです。私の家の近くに国際人倶楽部という外国人だけが入れる、素敵なマンションがあったんですね。そこにフィリピンの女性歌手がいて、その歌手とのつながりで、アメリカの宝石商と交際を始めまして、その方の紹介により、高級ナイトクラブでアルバイトもしました。」
幅広い交流の中で、アメリカの宝石商と交際するようになり、彼の好意で、旧帝国ホテルのバーで、白人たちが起立し、夫人にシャンパンでトースト(乾杯)を。白人たちが敬意を払うような人間になれたということに自信と誇りを抱きながら、夫人は自らの人生を謳歌していく。そして、運命の人、スカルノ大統領と出会った。
「舞踊をたしなんでいた際に知り合った人と帝国ホテルでお食事する約束をしたのですが、その人がスカルノ大統領のご一行と共にいらっしゃって、その時初めて大統領とお会いしました。その数日後、私は大統領と大使ご夫妻だけのお茶会に呼ばれたんですね。大統領は博識で、外国の方なのに日本の歴史をよくご存知で、聖徳太子が法令を出した年号まで詳しく知っておられました。私も歴史の成績は良かったのですが度肝を抜かれましたね。加えて、オランダの植民地下時代、大統領のお家もとても貧しく、食べるものがない時は、手のひらに乗せたお塩と、一杯のコップの水が食事だったこともあるというお話を聞かされて、大統領であられても私と同じ人間なんだと、そこで閣下と一学生というボーダーが外れました。私が英語を話せたということもあり、その後も交流を重ね、親密になっていきました。そうしているうちに、大統領からインドネシア訪問のお誘いを受けました。飛行機に乗って外国に行くというのは、当時の女性ではスチュワーデスくらいにしかできない夢のまた夢だったんです。
インドネシアでは大統領がいかに国民に敬愛されているかを知り、また、政治家でありながら、理想家、哲学家、芸術家である面に触れることもできました。そしてバリ島の別荘で求婚をされました。真っ赤な太陽が黒々とした椰子の木陰に沈んでいく幻想的な風景の中で、「私のインスピレーションとなってください、私の力の源泉となってください、私の人生の喜びとなってください」と求婚されたのです。私は、これは神が私にこの方に献身するように言っているのだと思いましたね。二週間の予定が一生のものとなってしまったんです。」

後編へ続く

 

デヴィ夫人 プロフィール
東京府東京市西麻布霞町出身。インドネシアのスカルノ元大統領夫人。NPO法人アースエイドソサエティ総裁、(株)オフィス・デヴィ・スカルノ、(株)デ ヴィーナ・ソサエティ代表取締役を務める。現在は、各地で公演、また日本ではタレントとして、多くのワイドショーやバラエティ番組に出演する一方、難民の ためのチャリティ・イベントを主催したり、イブラ音楽財団を設立し、音楽家の育成に力を注ぐ。

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