【2014秋号】【インタビュー】 デヴィ・スカルノ ”半生を反省” ―後編

キーワード:  ,

2015年2月12日 記事の公開日時 6:20 pm

0

このエントリをはてなブックマークに追加

Pocket
【2014秋号】【インタビュー】 デヴィ・スカルノ ”半生を反省” ―後編
 
 

この記事は2014秋号に掲載されています。
詳しくはこちらをご覧ください。

前編はこちら

大統領夫人となり、インドネシア国籍を得て宝石の精なる女神を意味する「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」という新たな名を得る。夫人は、インド ネシアと日本を結びつける橋渡し役としても活躍した。しかし、そんな中で夫人には試練が待ち受けていた。母と弟の死である。母の危篤を知り、夫人は日本に 帰国するも、既に母に意識はなかった。さらに母の死後、弟は騙され大切な預金全てを失い、苦境に苦しむ。そして、母の後を追うように弟も自殺してしまう。
「母と弟を同時に失った時は、人生最大の試練のように感じました。天涯孤独となったわけですから。弟が死んだ時は悲しさのあまり神様なんて思えませんでし た。悪魔よ悪魔、弟を生き返らせてくれるなら我が身をお前に一生売ってやると願いました。この時、支えになったのが、カトリックの教えです。私が一人に なったのは、神様がこれからは自由に大統領に100%仕えなさいって意味だなと思いました。そういう風に取らないと悲しすぎました。日本に心残すことな く、スカルノ大統領だけに献身しなさいという意味だと捉えました。」
最大の試練を乗り越え、スカルノ大統領との間に子を授かるという幸せを夫人は手にする。
「最も幸せだったときは妊娠を知った時ですね。至上の喜びでした。スカルノ大統領との間に私が子を授かるのはとても時間がかかったため喜びもひとしおでし たね。女性として生まれて妻となることはできても母となれないのか、自分の血が私で終わって絶えてしまうのかと思うと、悲しさが募りましたね。子供が生ま れなかったら私は大統領の後を追って一緒に死のうと思っていました。生きがいは大統領以外になかったからです。」
しかし、妊娠のため、夫人が日本に再び帰国をする前に、インドネシアでは、陸軍将軍六名が殺される九・三〇事件が起きる。この事件をきっかけとし、大統 領は失脚、スハルト政権が台頭し、スカルノ支持派の排斥が始まる。その影響もあってか、大統領は腎臓を悪くし、危篤となってしまう。スハルト政権台頭のた め、パリへと亡命していた夫人はこの危篤に自らの危険も顧みず、インドネシアへと駆けつけた。
「周りからは絶対に殺される、行くのはやめなさいと止められましたけれども、私は殺されてもいいという気持ちで向かいました。当時はスカルノ派ならば命を失うという時代で、新聞にもスカルノのスの字も書かれない時代だったんです。
私が帰ってきたというのはインドネシアで大変ニュースとなりました。スカルノ大統領が初めて建てた国立デパート「サリナ」では、私が訪れると売り子さん たちが自分の職場を離れて、私の元へと集まり、持ち場へ戻るよう館内放送がかかるほどでした。また、私が通りに立ったりすると、たくさんの人が集まって来 てしまい、自動車が動かず、交通整理が入るくらいでした。
その反響で、それまではスカルノのスの字も現れなかった状態が打破され、毎日私の動向が書かれるようになったんです。そこで初めてスカルノの名前が表に 出されもても良くなり、スカルノ一族が堂々と交流できるようになり、私の娘にもインドネシアの歴史や文化に触れさせることが可能になったというのが私の一 番の誇りですね。」

IMG_6092
その後、夫人はインドネシアからスイス、フランス、アメリカと色々な国を巡って四十年後、日本に帰国する。そうして今我々が知る夫人があるのだ。
夫人の人生は多くの人との出会いと交流によって開かれてきた。そんな夫人に、大学生の可能性を広げるための出会いをするにはどうするべきかを伺った。
「私は自ら好んで色々な分野の方と交流しています。ヨーロッパにいた時も王侯貴族、国家元首の方々から、経済界でリーダーとなっている成功者まで彼らのラ イフ・スタイルや会話からたくさん学びました。私はどんどん自分の人生を開拓しています。でも日本人は、フロンティア精神がないですよね。日本人は外国へ 行くと、言語が通じないためか、好んで日本人同士で交際しているのを多く見ます。でも、私は外国にいて日本人と一人も交際しませんでした。パリならパリの 人の中に入っていき、ニューヨークならニューヨークの人の中に溶け込みます。そこで日本人の友だちをつくると日本人の社会にいてしまうんですよ。私は絶対 そういうことはしません。異文化交流での円滑な色んなパーティに出かけて、そこで色々な方と出会うんです。そこから広がり、一を知ると三を知ることがで き、三を知ると十、それが百、千、万となっていく感じですかね。まあ社交というのは私だからできたことで、学生のあなたたちに必要なのは、まず自分の生活 範囲を広げることですね。多くの分野で顔を出し、色々な人と交流するようにすることです。
サークルの中で慣れ合うのも良いですが、積極的に接触し、自分を紹介しながら、お互いを紹介しあう場をどんどん作って、外に出かけなきゃダメですね。例 えば今は、私が大使館のレセプションに行くと、必ず学生さんを何人か見ますよ。それで、あなたたちはなぜこのパーティに呼ばれているのかと聞くと、〇〇さ んに付いてきましたと言うんですが、本当は呼ばれていないんです。その中には失礼な人もいて、バハレーンのパーティではバハレーンの国家元首の弟君を見つ けるとその人と勝手に写真を撮ったりしていましたね。実際には図々しいですが、そういうところを出入りする人とお近づきになって、入れてもらう。それくら いの積極性が大事だと思いますよ。」
今のテレビでの仕事は、自分がどこまで出来るのかという自らの可能性を開拓すると同時に人々に勇気を与えるためにしていると語る夫人。不可能だと思うことに挑戦することが若さの秘訣だそうだ。

IMG_6062

人生を戦場と捉える夫人から、最後に大学生への喝をいただいた。
「目的と目標を持ってほしいです。自殺したりする人はモチベーションがないからなのよ。女性でも男性でも、人は目的、目標を持たなきゃいけません。それが 動物との違いです。動物の社会は弱肉強食でわかりやすい。人間の社会でも、目標も無く、うかうかしているとその人は落ちこぼれていくんですよ。人間は生ま れ落ちた時から生き抜かなければならないという業を背負って生きているんです。生き抜くにはとにかく目標、目的と夢を持たないとダメですね。自分が将来こ うありたいという絵を描いてその道に進まなきゃ。例えば、幸せな家庭を作って、愛する夫と愛する子供に恵まれて、その子たちを立派に育てるということだっ て立派な目標だと思います。科学者になりたいでもいいですし、ビジネスで成功して巨万の富を掴んで世の中に還元したいでもいいです。何でもいいんですよ。 でもそれがない人はただ年老いていくだけです。」
最後に、夫人は「このインタビューを受けたのは、弟、八曽男が早稲田の学生だったからです」と一九五九年の角帽を見せてくれた。

IMG_6141

人生という戦場では、チャンスは平等に訪れる。
  目標、目的、夢を持っている人のみがチャンスに気づき、それを掴めるのです。

デヴィ夫人 プロフィール
東京府東京市西麻布霞町出身。インドネシアのスカルノ元大統領夫人。NPO法人アースエイドソサエティ総裁、(株)オフィス・デヴィ・スカルノ、(株)デ ヴィーナ・ソサエティ代表取締役を務める。現在は、各地で公演、また日本ではタレントとして、多くのワイドショーやバラエティ番組に出演する一方、難民の ためのチャリティ・イベントを主催したり、イブラ音楽財団を設立し、音楽家の育成に力を注ぐ。

関連記事


 
▲一番上に戻る